あいだをあけるということ

youmor2005-09-25

高校時代に知り合った友人に会いに久々に神戸へ。
久しぶりだなぁ〜なんて言いながら「最後に会ったんいつ??」って
喋ってたら何と2年以上前、と判明。


2年振りなんだったら2年分の話題がたまってておしゃべりも止まらない


...かと思いきやそうでもなかった。
何をどこまで話してるのか何をどこまで話していいのか
話したいことはいっぱいあるのにどうもうまくしゃべれない。


久々に会えてウレシイし言いたいこともあるのに
いつも他の友人としゃべったりするようなテンポで喋ることができない。
あたしの頭の中に以前読んだ1つのエッセイがうかんだ。

(滅多に会わない人よりも)よく会う人とこそ電話をするものだな、と思ったのだ。
不思議なことに話というのは、しょっちゅう話しているからこそあるものなのである。
何を話すのかといえば、たいていはどうでもいいことだ。
ものの本で読んだことがあるが、概ね会話というのは、その99%が
瑣末なことであるらしい。
大切なことは、全体の1%にすぎないという。
中略
(遠距離恋愛で滅多に相手に会って喋ることができない)恋人たちは、
会えなかった間にそれぞれ起きた大事な出来事を話そうと試みる。
つまり普段だったら1%にすぎないもので、会話を満たそうとする。
そんなことは、まずできないし、おおよその大事なことというのは、
過ぎてみたらたいしたことではない。
それが起きたときに語ればこそ臨場感があるというもので、
あとから語ろうとしたところで、もはやその熱は失われている。
こんなことがあり、また、あんなことがあったと、
まるで箇条書きのようになるだろう。


そして、大事な事の「報告」がすんでしまえば、もう話すことはないのだ。


友人と向かい合ってしゃべりながら
あたしの頭にはエッセイのこの部分がうかんでいた。
このエッセイを読んだのはおそらく1年程前のことでその時は
「ほほう、なるほど!」と思った程度だったのに
今日はその意味が身を以て理解できた、という感じだった。



確かに。あたしは今日「どうでもいいこと」じゃなくて
「大事な事」「報告しなければならないこと」を言おう言おうとしていた。
大事な事を報告してしまった後は、また他の「大事な事」を
思い出そう、思い出そう、としていた。
久々に会って話す、となるとこうなってしまうのだろうか??



でもあたしが「久々に会う友人」というのは今までにも何人かいたハズだ。
地元の友達や遠くの地方で1人暮らしをしてる友達は半年に1度とか
年に1度しか会えなかったりする。
会っていないし、電話だってしてなくても
会った瞬間から話がつきない人だっている。
じゃあ、そういう人と話が尽きない訳は??っていうと
そういう人には「報告」以外の99%の部分もしゃべるから、
だから、話が尽きないんだと思う。
じゃあ、今日会った友人みたいに1%の部分ばかりしゃべろうとしてしまう相手と
久々に会っても99%の部分もしゃべることができる相手の違いは??



それはきっと手紙のやりとりやメールのやりとりの違い。
電話を全くしてなくっても手紙やメールでやりとりしてるだけで
ちょこちょこと99%の部分の話をすることができてるから
久々に会っても「大事なことだけ言う」という風にはならなくて
どうでもいいような些細なことをしゃべることができるんだろう。


実際、今日会った友人とはこの2年の間ほとんど連絡、メールすら
していなかったのだから。



家に帰ってからエッセイを読み直してみた。

久々に会ったのに、積もる話があろうはずがないことに、
少しも盛り上がれないことに、2人は愕然とする。
焦りもする。畏怖さえもするかもしれない。


おお、したした。焦ったぞ。
畏怖、とまではいかなくっても、
前はもっと止まらないくらいの勢いでしゃべってたのになぁって
何で今日はうまくしゃべれないんだろうって寂しくなってしまった。
相手があたしと喋っててつまらない思いをしてるかもなぁって思ったりもした。

多くの別れてしまった(遠距離恋愛の)恋人たちは、
愛が足りなかったわけではない。
2人は相手を愛していて、それゆえに真面目だったのだと思う。
相手を大事に思うあまり、大切なことだけを伝えようとして、
そして話がなくなってしまった。


今日では、メールもあれば携帯電話もある。
恋する2人の距離を縮めてくれることであろう。


がんばって。よく話して。


遠距離恋愛をする恋人たちにかけてあげたい言葉である。

あたしも読みながら思い出したし、今、読んでる人も思ってるだろうけど、
このエッセイは「遠距離恋愛をしてるカップル」について書かれたモノ。
「久々に会う友人との会話」について書かれたものではない。



筆者の言う通り、今日ではメールも簡単にできるし
携帯電話もあって会話もしやすい、TV電話で顔も見れる。
きっと、遠距離の恋人たちは言われるまでもなくちゃんとしょちゅう
連絡をとってるのではなかろうか。


それよりも!
きっと友人関係の方が危機的ではないのか!?
と、今日改めて思った。
メールアドレスや携帯電話の番号を変えても連絡しなかった友人とは
そのまま音信不通で連絡もできない状態になるし、
とりあえずメモリーにデータが入ってても
久々にメールしてみたら「メールが送れませんでした」になってしまう友人。
そういう人たちと、もっと連絡を取るべきだなぁと思う。
何も携帯電話に登録してある人全員と連絡をこまめに取れと思っているわけではないけど、
でもせめて自分いつまでも大切にしていたい友人とはそうあるべきだろうと思う。



今日最後に三宮の駅の改札で別れる時に
「また、遊ぼうね」と言って別れた。
絶対に会おうと思う。
今日だって昼の11時に会ってから夕方の6時半くらいまで
会話のテンポがおかしかったのに7時頃になってようやく
だらだらとしっかりしゃべれるようになったんだから。
また連絡を途絶えさせてしまったら
せっかく取り戻した会話のテンポをまた失ってしまうことになる。
誰かと別れる際に言う「またね」というのは
ある意味社交辞令だったりするし、「また」会うこともなく日々が過ぎ去って行くことも
あるだろうけど、今日、あたしはココロから
「また近々会おうよ!」と思っていた。
本当に、今日はグダグダだったけど、あたしはまた会いたいです。
次はきっと、もっと楽しく喋れると思う!


それから連絡を取ってない別の友達にも連絡を取らなくては!