人ん家に行ったら卒業文集見るもんやろう、と言われたのだが、私にはそんな恒例は無い。誰かの家に行って卒業文集を見せろと催促したことも私の家に来た誰かが見せろと言ってきたこともない。
 卒業文集のひどい写真を見ては散々笑ったり馬鹿にしたりするもんやろう、と言うその人に「そんなことするのは輝かしい学生時代を送った人だけだよ」と私は答えた。一人暮らしを始める時にわざわざ卒業文集を持ってくるなんてこと、しないだろう、普通。あぁこの人は私とは違うんだわ、と何だかサーっとひく悲しいものがあった。なんとなく、男女が交じり合ってやれ山だのやれ海だのと出かけてあいつが好きだの嫌いだのという展開を繰り返し泥臭く青臭く青春時代をすごした人たちの大人になってからの行動、という風にとらえられたのだ私には。卒業文集を見るだなんて。



 と思っていたらなぜか私の本棚に中学校の卒業文集があった。私の大切な、そしてお気に入りの本たちがぎゅうぎゅうと身を寄せ合ってる中になぜか卒業文集が。びっくりしてしみじみと眺めた。
 数日後、またやってきたその人に「あったよ」と言って文集を渡した。まったく記憶にないのだけど私がその文集を1人暮らしの部屋に持ち運び保管していたのはおそらく自分の作文が載っていたからだろう。読み返したかったか、誰かに見せたかったか、何かを作成する時に文章を引用したかったか…まぁおそらくそんなところだ。選ばれた人だけが掲載される作文の中に並ぶ15歳の私が書いた作文はそんなによい内容なわけでもうまいわけでもないが、大人になった今でも結構気に入っている。
 文集を閉じると同時に「今と文体変わってへんな」と言われとても嬉しかった。
 10年前と変わらないだなんて成長がないってことかしら、とは思わず素直に嬉しかった。思えばあの頃から書きたい内容は変わってきていても好きな文体は変わっていない気がする。ブレてない、と言われたような気分。あぁ私はちゃんと変わらずにいれるんだなぁと。過去のものを置いておくのも、そしてその頃を知らない人に見てもらうのもいいものだわっと単純な私は思うのでした。