実写版、亜土ちゃん。キャハ☆

Dr.スランプアラレちゃん全曲集
学校に講師として水森亜土先生が来て下さいました。
「亜土先生」と言われ、「"先生"だなんて!キャハ☆」と笑う亜土先生。
あたしは「キャハ!」と声に出して笑う人をマンガ以外で見た事ないので
「実写版だ!!」と訳の分からぬコメントをしてしまいましたが
隣に座っていた友達,月月ちゃんも「うん。実写!」と答えていたので
とりあえずあたしの「亜土ちゃんを見てのコメント」は的を外れてはいなかった模様。



「先生」として来て下さったので「先生」と呼ぶのが筋だし
それに偉大なる絵描きさんなので「さん」で呼ぶのが当たり前だと思うが
今まで「亜土ちゃん」と読んできたので今更変えるのはしっくりこない。
しかも本人を前にしたら
水森亜土」の愛称は「亜土ちゃん」しかない!と思ってしまうに違いない。



スパンコールのはぎれがいっぱいついた大きなキャスケット
裾が、大きく広がったラッパのオーバーオール。
中に着てるカットソーな幅の大きなボーダーでスクエアのライン、
肩の部分にはふくらみがあって本当にかわいらしい。
耳元にはゴルフボール大にしたミラーボールのような
キラキラのぼんぼりが左右にぶら下がってて
「どこで買ったんだろう」って最後まで気になったモンキーバナナより少し小さな
リアルなバナナのピアスが軟骨からぶら下がっていた。
本当に「水森亜土の絵」から出てきた人みたいだった。
写真がないのが残念!

1人

亜土ちゃんは1人で行動するのがすきなの、と言っていた。



美術館とかね、誰かと行って、
「この絵すごいねーー」って言った瞬間にその絵のすごさが
半減しちゃう気がするの。
そういうのはね、1人で見た方がいい。


あたしはこの言葉にすごく共感した。
あたしも美術館やギャラリー、映画は1人で行く。
自分1人でその作品や空間を消化する為。
だれかがそばにいると消化しにくい。消化不良。
たま〜に誰かがいた方がうまく消化できることもあるんだけど。
でも誰かがそばにいるとついしゃべってしまうから。
静かに見てる他のお客さんに悪いから。
だから1人で見るのが、行くのがすきだった。


けど、
そうか。
「すごいね」って口にだしてしまうことによって絵のすごさが半減してしまう。
なんだか納得してしまった。
絵は「完成された絵」なんだから誰が何と発言しようが
「絵」自体は何も変わらないんだけど
でも自分の中でのその絵の位置。
目が離せなくなる程の圧倒的なオーラ、それが
「すごいね。」の一言で半減する。
「すごい」と思ったことを誰かに言って、その「すごさ」を共有することで
自分を元に戻せてしまうんだろう。
絵を見るまでの自分に限りなく近づいてしまうんだろう。



「すごい」の気持ちを1人で受け止めてだまっていれば
それが自分の血や肉になるんだろうなぁ、きっと。