とても悲しい。ご飯がおいしく食べれないという状態がずっと続いております。ご飯を食べるということに恐怖心を感じて怖くて怖くて怯えてるから何を食べても全然おいしくない。悲しい!食べると脳に油をぐるっとかけたみたいに吐き気とめまい。
 あまりに深刻なので*1病院に行ってみたのですが、胃と腸に異常はなくてむしろ正常だという。仕事が終わってからでも開いてて、家の近所という理由だけであまり期待せず行った病院なのにずいぶん細かく丁寧に問診して下さり考えられる原因をいくつも探し当てようとしてくれたのですが結局は精神的なものからきている可能性が高い、ということしか分からず。
 ついでに気になったことがあったので婦人科へも行ってみた。妊娠じゃないよ(←聞かれてないけど一応)。婦人科医からも精神的なもんだとバッサリ言い捨てられた(ホントに情っつうもんが微塵も感じれない医者でとてもやるせない気持ちになった)。そして私が生理だと思っていたものが生理じゃなくて不正出血だったということが判明。どうりで3週間も続いたわけだ!
 婦人科であの嫌な回る開脚椅子に座って激痛を味わったあげく冷ややかな問診を受け高額な診療を支払い、何だかとても冷たい風を感じながら家に向かっていたら友人から「今飲んでるから来ない?」とステキなお誘いがきたのでそのまま吸い込まれる様にして方向転換。お酒をちびちびといただいた。お酒もおいしくないんだなぁこれが。だけど急な誘いとどうでもいい話とお酒にとっても救われた。
 1年前に初めて症状が出てから、最初はたまにという程度だったのにここ最近はずっとだから何だかもう困って困って困ってます。それでもまぁなんとかちゃんと食べて生きております。私がこんなで食べてる途中に気分を悪くしても誰も嫌な顔しないし、食べやすそうなものを選んでくれるし、食べ物を残すのが何より嫌な私が嫌な思いしないようにいつも私の食べ残しを食べてくれる人もいるしありがたいことです。ちなみに症状が出るのは外食時のみ。自宅で自分で調理したご飯を食べてる時は一切でない。外食恐怖症?なんでしょうね。困った困った。ごはんがおいしく食べれるってしあわせよ。早くおいしく楽しく食べれる様になりたいなぁ、と。それが最近の願い。

*1:「ご飯をおいしく食べられない」って本当に不幸なこと。とってもつまらない。生きる上ですごく深刻な問題。食べ物出てきたら「恐い」と思うなんてどうかしてるわ。

 父が学生時代に「なんだこれは」と感動したハヤシライスのお店。時間ができたら行こうと思っていたのにすっかり忘れておりました。さっきふと思い出したついでに調べてみたらすぐヒット。現在も営業中であるとのこと。
 すこぶる貧乏学生だった父ですら食べれたからそんなに高級な店ではなかったと思うんだけど、と言っていたけど時代の流れでしょう、結構いいお値段。だけどせっかくだから行ってみたい。幼い頃から散々その店の味を目指した父の作る「ハヤシライス」を食べてきたのだから。
 それにしても「洋食屋さん」というのはとても素敵。レストランやカフェとはまた違う。ちょっと気取って身構えて、だけどラフ。

 展示が終わってしばらく経ち、展示品や作成のための道具の片付けがまだ残っているもののゆっくりゆっくりといつものかたちの日々に戻りつつあります。
 それからしばらくやってなかった遊びやお出かけも、これは「徐々に」と言うよりドーンドーンと繰り広げております。久々にくりだした買い物でかわいいブーツとパンプスを買えてこれはこれはわたくしゴキゲン。あまりオシャレさんでもないし服装にお金をかける方でもないのだけれど"靴"にはきちんとお金をかけたいと何だか決まりごとの様に思ってる。足元が可愛いとタッタララッタラとよいステップが踏めそうだし、きちんと作られた靴は足が疲れないからどこでも行ける。汚れたら嫌だなーなんていう心配も抱えつつ意味無く足をカプカプと揺らして座ってみたりするのです。



 衝動的に買ったチケットで久々にライブへ行き、可愛い可愛い女の子にうちのめされました。彼女たちの軽やかなステップもキュートで少しひねくれた歌声もだいすきな三日月の形の目も見ていたらキューンとなってしまい、あの輝きを盗んで帰ってしまえと思うのです。彼女たちのステージが終わって隅っこの方でお酒片手にふにゃふにゃと踊ってたらちょうど彼女たちが出口へと向かって帰っていくところに遭遇。観客は皆ステージのDJに夢中で彼女たちに気づかぬ様子。思わず声を掛けてしまったら、ステージ上と同じ三日月型の猫の目で、ニカーと笑いながら私に手を振って帰ってゆきました。なんて可愛い女の子でしょう。
 たまらなくしあわせな気分でまだライブも終わってないというのに*1夜の木屋町をタッタララッタラと走り抜けて、寄り道してまたお酒を飲んでは楽しい夜を延長し続けた私でした。次の日の仕事が、とてつもなくしんどかったけど!いいのいいの。

*1:でも彼女たちの出番は終わってたから

 先週から始まった雨林舎での2人展もちょうど折り返しです。2週間という展示期間(お店の閉店日を抜くと10日ですが)は長いようで短いなぁ。もともとあのギャラリーの持つ雰囲気がいいことも手伝って、いつもよい空気が流れています。
 初日のあのぽかぽかとした日差しのそそぐ空間も。週末の降り止まない雨と光の少ない空間も。いつもよい空気。じっくりゆっくり見ていただきたい。

 

 
 今後の予定はまだ行けてない初詣、おみくじ。展示の打ち上げ、おともだちのお誕生日、梅も見たいしゆっくりお酒も飲みたいし、じっくり本屋へも行こう、それから1人でとめどなくふらふらしよう。よい服を着て。歩けるところまで、歩く。歩くのは得意。それからお礼状をいっぱい書こう。変装をしよう。祖父の葬儀の為に買った黒いスーツ、あれをビシっと、でもちょっと崩しておかしなピンバッチとか付けちゃって、気取って出かける、パン屋とか。電車に乗ろう、遠くまで。眼鏡をかけなくては。眼鏡が似合う顔を探そう。海だな海、海を見なくては。なかったら水でいいや、大量に水を見よう。あと橋、橋を眺めないと。何で橋ってあんなに格好いいんだろう。どこかでラブレターを書いてそれで終わらせるのもいいかも知れない。引きこもって作品製作ばかりしてたから欲がうーんとあるなぁ。しかし具体的なやりたいことは無いのだな。アンテナを作品にしか向けなかったから。
 外へ、向かわないと。


 来年1月28日から喫茶 雨林舎にて2人展をします。雨林舎のサイトでも宣伝されてますのでよかったらリンク先へ飛んでってみて下さい。
 今日は2008年の仕事納め。仕事帰りに雨林舎へ行き、店内に貼っていただくポスターとDMとを渡してきました。店主のお姉さんに「よろしくお願いします」と言いながら渡しつつも、何だか他人事みたいな気もします。これが自分の展示だと実感がないような。焦りとか不安とか楽しみとか色んな気持ちは確かに自分のこととしてここにあるのですが、ちょっと他人事。何だろうな、この感覚は。
 雨林舎を出て、自転車に乗る前に手袋をはめたりしてモタモタとしつつ、ふと店内を見たら店主のお姉さんとスタッフの女の子がさっき渡したばかりの私たちのR展のDMをふむふむと見ている姿が見えました。2人は私に背を向けているから表情は分からないし、私はもう店の外に居るから声も聞こえなかったけどお姉さんの手に持っているDMを覗き込む様にして見ているスタッフの女の子の姿を見ていたら、何を話しているのかどんな顔をしているのか何だか、勝手な想像ではあるけどハッキリと頭に浮かびました。
 


 それから、その姿を見ていたら、自分がcafe aobabaで働いていた頃のことを思い出してしまいました。こんなんだったなぁ、って。あの頃私もaobabaのお店の中で店主姉妹とこんな雰囲気だったことがよくあった。「見て見て、よーちゃん」と2人が何かを見せてくれて近づいて覗き込むようにして3人でそれについて…それは時には本だったしお菓子だったし雑貨だったと思う…3人であれこれ楽しく話したなぁ、と。私はもうその姿が日常ではなくなってしまったけど、こうやってどこかの喫茶店で同じ様な光景があるのだなぁと思うとうらやましくもあり、自分にもこういう経験があるのよって嬉しくも思います。
 あ、そうそう。DMですが・・・、雨林舎に置いてあるDMは実はかなり雑になってる分なのでここでお詫びしておきます!ミシンを触るのが久々過ぎてへたっぴになりましたのよ。ごめんなさい!住所を知ってる皆様のもとへは、必ず届けますので待ってて下さいね!

 私が幼い頃。母か祖母が食事の準備をするのが当たり前だった。だけどなぜか、ハヤシライスだけは父が作った。母も祖母もハヤシライスは作らない。それは父の係。カレーライス?カレーはもちろん母。父はカレーは作らない。
 ”ハヤシライスはお父さん”。これを妙だなと思うこともあったけど、ものごころついた頃からそうだったから、まぁそういうものなのだろう、と思い口にはしなかった。



 つい最近。私の1人暮らしの部屋へ父が遊びに来た。今、1人暮らしを始めて7年かな。父が来るのは2度目。実は学生時代に父が住んでいた場所と今の私の住まいが同じエリアなので、ただ単に「娘の部屋へ遊びに行く」という感覚だけではない様子。一緒に外を歩きながら、昔はこうだった、ああだった、と話す父。そして、こんな話も。
 "岡崎の近くに○○というお店があって、そこでハヤシライスを食べて、すごくおいしいなァと思った。もちろんハヤシライスなんて初めて食べるし「なんだろう、これは」と思って。貧乏学生が行けるくらいだったからそんな高級な店じゃないと思うし、まだあると思うんだけど…。"


 小さい頃からの当たり前。小さくひっかかってた「妙」なこと。25年目にしてようやく分かった。
 そうか、父は家族に「おいしかったあの味」を作ってあげたかったんだ。だから、自分が作り続けたんだ。
 滞在中、一緒に別の洋食屋に入ると父はハヤシライスを注文した。食べながら”家ではこの味は出せないんだけど、何が入ってるんかなぁ。この酸味とか…”とぼそぼそと喋っていた。そんなにハヤシライスを研究してるとは全く知らなかった。まぁ、作る度に「どうだ?どうだ?」と執拗に味の感想を聞いてこないのがうちの父らしいことなのだけど。
 父が感動したハヤシライスがある店は、当の本人が場所をしっかり覚えてないから今回一緒に行けてないのだけど、店の名前はしっかり覚えたので、探してみて行きたいなぁと思うよ。まぁ、来年・・春くらいになるかな。自転車でのんびり岡崎散策。早くそう出来るくらいのんびりしたいなぁ。